二十分、電車が停まらなかった
その日の帰り、私はいつもの終電に乗っていた。
座席は半分ほど埋まっていて、ドア脇に立った私は携帯をいじっていた。気づけば、次の駅を告げるアナウンスがずいぶん長いあいだ無い。顔を上げて時計を見た。もう十分近く経っている。いつもなら、五分か、長くても八分で次のホームが来る路線だった。
そのまま待った。十五分。二十分。窓の外は、ずっと同じ暗闇だった。
車内を見回すと、座っている人たちはみな俯いたまま動かない。眠っているのだろうと思ったが、声をかける勇気は出なかった。もし起きなかったら、と考えてしまうと、それ以上近づけなかった。
私は携帯を出して、掲示板を開いた。身のまわりで何か変なことが起きたら、それをそのまま書き込むためのスレッドがある。何をどう書けばいいのか分からないまま、「乗ってる電車が二十分停まらない」とだけ打った。
すぐに返信が付いた。「寝過ごしただけじゃないの」「路線どこ」「一応落ち着いて」。画面の向こうに、誰かがいる。それだけで、少し息がしやすくなった。
目隠しの運転席と、知らないトンネル
不安になって、先頭車両まで歩いた。運転士に何が起きているのか聞きたかった。
運転席の小窓には、内側から目隠しのカーテンのようなものが下りていて、中の様子はまったく見えなかった。ガラスを軽く叩いて、声をかけてみた。
返事はなかった。
もう一度、少し強めに叩いた。それでも、カーテンの向こうで人が動く気配すらしなかった。
席に戻る途中、電車がふっと減速した。ようやく駅か、と思うより先に、車体がトンネルのようなものに包まれた。轟音が耳を塞ぎ、窓には自分の顔だけが白く映った。この路線に、こんな長いトンネルは無かったはずだ。毎日乗っているのだから、それだけは分かる。
抜けたとき、外の暗さは、さっきよりも一段深くなっていた気がした。
検索しても出てこない駅
電車は速度を落とし、小さなホームに停まった。
扉が開いた。冷たい空気が入り込んでくる。私は迷った末に、そのホームへ降りた。降りたのは私だけだった。座っていた人たちは、誰も顔を上げなかった。
扉が閉まり、電車は行ってしまった。
ホームには誰もいなかった。駅員室の明かりも消えている。蛍光灯が一本だけ、ホームの端で青白く点いていた。
駅名標を見上げた。
「きさらぎ駅」
聞いたことのない名前だった。私はそれを、そのまま書き込んだ。
しばらくして、返信がまとまって付いた。「調べたけど、そんな駅ない」「どの路線図にも出てこない」「念のためもう一回調べる」。何人もが、同じ結果を書いていた。私が立っているホームは、検索してもどこにも出てこないらしい。
足元には確かにコンクリートのホームがあって、目の前には駅名標がある。ここに立っているのに、誰の地図にも、誰の検索結果にも、この場所だけが存在しない。幽霊や物音より先に、その一点が私を落ち着かなくさせた。私が今いる場所は、この世界のどこにも繋がっていないのではないか。
草原と山しかない場所
改札らしきものを抜けて、駅の外に出た。
タクシーどころか、民家の明かりひとつ見えない。目が慣れてくると、広がっているのは丈の低い草原で、その先に山の黒い稜線が続いているだけだった。道路の形すら分からない。ここへ来るための道が、そもそも存在していないようだった。
そのとき、音が聞こえた。
どん、と腹に響く低い音。少し間を置いて、しゃらん、と細い音が重なる。太鼓と、鈴のような音だった。方角は分からない。近づいているのか遠ざかっているのかも分からないまま、しばらく続いた。
私はそれも書き込んだ。返信の文字が、さっきより少し慎重になっていた。「そこを動かないほうがいい」「いや、来た方向に戻れ」「線路をたどればさっきのトンネルに出るはずだ」。
音がふっと止んだ。さっきまでの闇より、その静けさのほうが重かった。
迷った末、線路沿いに来た方向へ歩くことにした。ここに突っ立っていても、誰も迎えには来ない。そう思うしかなかった。
線路を戻りながら
枕木を一本ずつ踏みながら歩いた。砂利が靴の下で鳴る。
不意に、後ろから声がした。
「線路を歩いたら、危ないよ」
振り向くと、少し離れた線路の上に、人影が立っていた。片足しかなかった。もう一方の足があるはずの場所には何もなく、それでも老人はまっすぐに、揺れもせず立っていた。声をかけようとした、その前に、老人は消えた。歩き去ったのでも、闇に紛れたのでもない。次の瞬間には、そこに枕木と砂利しかなかった。
何だったのか、考える余裕はなかった。私はただ、前へ歩き続けた。ここでは、立ち止まって理由を探すことのほうが分が悪い気がした。
出口のない山道
やがてトンネルの口が見えた。中は真っ暗で、息を止めるようにして入った。抜けた先に、車が一台停まっていて、その脇に人が立っていた。
事情を話すと、その人は近くまで送っていくと言ってくれた。人がいる、話ができる。それだけで泣きそうなほど安心して、私は助手席に乗った。スレッドにも「人に会えた、車で送ってもらう」と書き込んだ。「よかった」「気をつけて」。そんな返信が付いた。
車は走り出した。
最初は窓の外を見ていた。道は細く、両脇は黒い木々が続いていた。街の明かりを待っていたが、いつまでも見えてこない。それどころか、車は少しずつ坂を上っているようだった。
山のほうへ向かっている。
十分。二十分。カーブを曲がるたびに、もっと近くなるはずの何かが、いっこうに近づかない。同じ木、同じ暗さ、同じ坂が続いているようにも感じられた。まるでこの車だけが、どこにも着かない道を走らされているようだった。
運転している人は、前だけを見つめて、さっきまでの親しげな調子がどこにもなかった。話しかけても、返事がない。私は膝の上で携帯を握りしめ、震える指で打った。「山のほうに向かってる」「もう長い。全然着かない」。
返信が流れてきた。「今すぐ降りろ」「隙を見て逃げろ」「今どこだ」。
どこなのか、私にも分からなかった。窓の外には木々しかなく、来た方角も、戻る方角も、もう見分けがつかなかった。
バッテリーが切れる前に
画面の隅で、電池の残量表示が細くなっていた。十七パーセント。十二パーセント。数字が減るたびに、返信を打つ手が速くなった。
私は、最後になるかもしれない一文を打った。
「バッテリーがもう切れそうです」
送信したとき、車はまだ、山の奥へと走り続けていた。
スレッドには、その後も書き込みが続いたらしい。「おい」「大丈夫か」「レスまだ?」。何度も呼びかける言葉が並んだが、続きが返ってくることはなかった。問いだけが、宛先のないまま積み重なっていった。
実況という形式そのものが、怖さを支えている
きさらぎ駅の書き込みで目を引くのは、単発の怖い話というより、実況スレッドという形式そのものが恐怖を支えている点だ。投稿者が電車の遅延をその場で書き込み、読み手が「路線どこ」「今すぐ降りろ」と即座に返す。この往復が、出来事がいままさに進行しているという感覚を作り出している。目隠しされた運転席や片足の老人といった個々の怪異よりも、この双方向のやり取りそのものが怖さの骨格になっている点が、この物語を読み解く手がかりになりそうだ。
國學院大學大学院紀要に載った古山美佳の論文は、表題に「口裂け女」ときさらぎ駅の比較を掲げている。本文の内容はこの記事の材料からは確認できないが、この2つを比較の対象として選んでいること自体は、口伝えで広まった怪談と、掲示板への書き込みという形で広まった怪談のあいだに、何か比べるべき違いが見出されているということだろう。
一方、『世間話研究』に載った伊藤龍平の論文は「スマホサイズ化されるネットロア」という表題を持つ。中身までは分からないが、パソコンの掲示板で生まれた物語が、スマートフォンでの読まれ方へと形を変えていく過程に、伊藤が関心を向けていることは表題からうかがえる。
2011年に現れた「7年間で戻れた」とする書き込みは、成りすましを疑う声もあると転載記事は伝えている。真偽は判断できないが、後発の書き込みが元の投稿へ付け足されていくこと自体は、ネット上の怪談が一度の投稿で終わらず、時間をかけて外形を膨らませていく例として興味深い。ただし、この書き込みは最初の投稿を裏付けるものではなく、別の投稿として扱うのが妥当だろう。
きさらぎ駅という駅が実在しないことは、当のスレッドの中で住民が検索して確かめている。ここで確かめられるのは怪異そのものの実在ではなく、「そう書き込まれ、転載され、論文の題材にもなってきた」という記録の側である。