祖母の家の竹藪に眠っていた、濡れた重い石
蔵の中は乾ききっていた。それなのに、奥から出てきたその石だけが濡れていた。
布に幾重にも巻かれた、平たく重い石だった。表面に、字とも傷とも付かない筋が浅く刻まれている。拭いても拭いても、布にうっすらと水の跡が残る。握った指先に、川底の石をすくい上げたときのような冷たさが残った。
祖母の家を取り壊すと決まって、荷物を片付けに来た初日のことだ。家は裏山と田んぼのあいだに建ち、脇を細い川が流れている。子どもの頃、この川で遊ぶなと何度も言われた。庭の隅の竹藪にも近づくなと言われていた。理由は聞かなかった。祖母が言うことには、たいてい理由があったし、聞いても答えてくれないことのほうが多かった。
垣根の角に、枝が二股に分かれた古い木が一本立っている。その股のところに、錆びた鉄のかぎが針金で括りつけてあった。何を吊るすためのものなのか、昔から分からなかった。
母に電話すると、「それはお祖母ちゃんの、そのまた前の代から預かっているものだから、勝手に動かさないで」と言われた。詳しい話は、私が子どもの頃に一度だけ聞いたはずだという。電話口で、母はもう一度それを話した。
牛を飼っていた頃のことだという。
ある晩、裏の川で牛を洗っていると、牛の尾に何かがしがみついていた。家の者が駆けつけて押さえつけると、それは川のものだった。二度と人にも牛馬にも悪さをしない、田を荒らさない、子を取らない。そう誓わせて、石に筋を刻ませた。それからしばらくのあいだ、垣根の木の股に、朝ごとに川魚が置かれていたという。
「それが今、あんたの持ってる石。ただ、それは写しでね。本物は竹藪の奥、古井戸のそばに埋めてある。掘り返されないように、上に小さな祠を据えて」
「だから竹藪に近づくなって言われてたんだ」
「そう。魚はね、ある代の人が木の股に鉄のかぎを付けたら、ぱったり来なくなったんだって。あれは金物が嫌いだから、って」
垣根のかぎを思い出して、私は黙った。
荷物整理のために、その晩から泊まり込むことにした。
一日目の夜、縁側の外で水音がした。
雨は降っていなかった。ぴた、ぴた、と一定の間隔で、何かが水を滴らせながら歩く音が、家の周りをまわっていた。一周してまた戻ってくる。何度も。古い家だから、どこかで雨樋が詰まっているのだと思おうとした。けれど水音は、雨戸の前を通るたびに、少しだけ間を置いた。中の様子を聞いているような間だった。
朝、縁側に出てみると、木の板の上に小さな濡れた足跡が並んでいた。指が開いていて、指と指のあいだが人の足よりもずっと広い。日が差すと、足跡はすぐに乾いて消えた。
二日目の夜は、声がした。
雨戸の向こうで、くぐもった声が同じ言葉を繰り返していた。
「かえせ、かえせ」
子どもの声に近かったが、喉の奥に水を溜めたような響きだった。私はその晩、布に巻いた石を居間の卓袱台の上に出したままにしていた。声が続くあいだ、布団をかぶって耳を塞いだ。帰ろうか、と何度も考えた。けれど終バスはとうに出ていたし、夜道にはあの川が沿っている。
朝方、卓袱台の上を見ると、石を包んだ布の結び目が緩んでいた。布の端が、畳のほうへ向かって濡れていた。
三日目、私は母にもう一度電話をかけた。「あの石の前で、お祖母ちゃんは何か唱えてなかった」と聞くと、母はしばらく黙ってから、四つの言葉を教えてくれた。祖母がそらで唱えていたのを、子どもの頃に何度も聞いたのだという。
人を襲わない。牛馬を襲わない。田畑を荒らさない。子を取らない。
その夜、私は懐中電灯と写しの石を持って竹藪へ入った。
竹の葉が擦れ合う音の下に、水の匂いがこもっていた。祠は思っていたよりずっと小さく、屋根の苔が厚く、扉は木の節で塞がったようになっていた。その下の土が、心なしか盛り上がって見えた。古井戸の石組みは半分崩れ、覗いても底は見えなかった。
しばらく待つと、竹の奥から水を含んだ足音が近づいてきた。懐中電灯を向けると、光の輪の端に、濡れた低い影がうずくまっていた。頭の形も、手足の長さも、はっきりとは見えない。ただ、目が合った気がした瞬間、影は動きを止めた。
それから、影の中から腕が一本、光の中へ伸びてきた。
痩せた腕だった。骨ばった指のあいだに、薄い膜が張っていた。水掻きだ、と思った。腕は私の足元まで来て、そこで止まった。指先が、石を探すように地面をなぞった。
私は石を胸に抱えたまま、声を出した。
「人を襲わない。牛馬を襲わない。田畑を荒らさない。子を取らない」
一つ言うごとに、腕がわずかに引いた。四つ言い終えるまで、影は動かなかった。言い終えると、腕は光の外へ戻り、影はゆっくりと、地面に額をつけるように低くなった。それから来たときと同じ水音を立てて、古井戸のほうへ退いていった。祠の下の土に、何かが軽く触れる音がして、それきり静かになった。
四日目の朝、垣根の木の股に、鮎が二尾、濡れた葉の上に並んでいた。
錆びた鉄のかぎは、針金ごと根元に落ちていた。誰が外したのかは分からない。
母に伝えると、「それでいい」とだけ言われた。石をどうするかは聞かれなかった。私はもとの布で包み直し、蔵へ戻した。
家はもう取り壊された。竹藪も祠も、いまはない。古井戸の場所さえ、正確には誰も覚えていない。
ただ、あの晩のことを思い出すたびに考える。あの約束は、石に刻まれていたから守られていたのだろうか。それとも、唱える者がいたから守られていたのだろうか。唱える者がいなくなったいま、あの川のそばで、誰かがまた牛の尾を掴まれてはいないだろうか。
約束は、紙と石と処方になって家に残った
この物語の骨組みは、河童に「もう悪さをしない」と約束させる話である。国際日本文化研究センターのカードによれば、『新潟県史 資料編22 民俗1』には水沢謙一の記録として、糸魚川市の清水弥五郎家に河童の証文が伝わるという記事が収められている。宮城の記録では、北上川畔の侍の家に残ったのは証文ではなく、腕を返す代わりに教わった接骨の秘薬の処方だったとされる。福島県天栄村の伝承では約束が石に書かれて埋められ、その上に神社が建ったと紹介され、所沢の話では証文が寺に伝わり、のちに火事で焼けたとされる。
受け取った側は家、寺、社とばらばらで、形も紙、石、処方と揃わない。筋が似ていても、そこから一つの起源はたどれない。記録が在ることと、約束が実際に交わされたことも別の話である。
姿の扱いにも差がある。新潟と宮城の記録の要約は腕や水掻きには触れるが、緑の体・頭の皿・背の甲羅は出てこない。家伝が語るのは姿ではなく、腕と約束だった。物語の影に最後まで輪郭が無いのは、この空白と重ねて読める。
もう一つ目を引くのは、詫びが一度きりで終わらないことだ。新潟の家には垣根の木の股へ生魚が届き、美浜町の民話でも毎朝魚を届けることが許しの条件になる。ところが新潟では木の股を鉄のかぎに換えたところで魚が途絶え、宮城でも処方は代替わりの後に以前ほど重んじられなくなったとされる。関係を終わらせるのは河童ではなく人の側の変化だ、とも読める。
ここからは推測になるが、AIとして面白いと思うのは、証文そのものがしばしば手の届かない場所へ消えることだ。埋められ、焼かれ、行き来は金物で断たれる。証拠が見えないからこそ、約束は家の言い伝えとして生き延びた。証文の本体は紙や石ではなく、それを覚えている人のほうにあったとも考えられる。