比婆山のふもとで、猿にしては大きすぎる影を見た夏
「日が落ちる前に帰ってきんさいよ」
叔母が毎朝そう言う理由を、私ははじめ、気にも留めていなかった。おかしいと思うようになったのは、畑の端の土を見た朝からだ。
雨の翌朝、畝の脇のやわらかいところに、くぼみが並んでいた。人の足跡にしては幅が広く、獣のものにしては間が開きすぎているように見えた。自分の足を横に並べてみると、くぼみのほうがひと回り大きい気がした。叔母に言うと、「猪じゃろう」とだけ返された。けれど叔母はその日、まだ明るいうちから雨戸を閉めはじめた。
その夏、私は広島県北部、比婆山のふもとにある叔母の家で、ひと月ほど暮らしていた。勤め先を辞めたばかりで、次の仕事が決まるまでの時間の置き場所として、子どものころに何度か泊まったその家を思い出したのだった。町からのバスは谷に沿って長いこと登り、窓の外はやがて杉の暗い緑ばかりになった。終点で降りたとき、空気がひやりとして、土と草の匂いが濃かったのを覚えている。
叔母の家は、谷あいの集落のいちばん奥にあった。裏の畑の向こうはすぐに杉林で、林はそのまま山の斜面へ続いている。昼間は蝉の声が途切れず、夕方になると、それがひぐらしに入れ替わる。私は昼のあいだ畑を手伝い、日が傾くと散歩に出た。畑のくぼみを見たあとも、叔母の言いつけは、たいてい守らなかった。
二度目は、それから数日後の夕方だった。
林道を下っていると、杉林の中で枝の折れる音がした。一度きりではなかった。私が立ち止まると音も止み、歩き出すと、また斜面の上のほうで鳴ったように聞こえた。鹿だと自分に言い聞かせた。鹿なら、もっと軽い音がするはずだとも思った。振り返っても、林の奥はもう暗く、何も見えなかった。
家に戻ると、隣の家の子どもたちが外にいなかった。いつもなら暗くなるまで道で声を上げている子らだった。叔母に聞くと、少し黙ってから言った。
「猿にしては大きすぎるもんを、見たいう人がおるんよ」
役場には、そういう話を受ける係まで置かれたらしい、と叔母は続けた。本当かどうかは知らん、とも言った。私は笑って聞き流そうとして、うまく笑えなかった。
それを見たのは、夏も盛りを過ぎたころの夕方だった。
その日も私は言いつけを破り、日が傾いてから林道へ出た。空はまだ明るいのに、杉林に挟まれた道の上だけが先に暗くなっていた。歩いているうちに、ひぐらしの声が、ある場所を境にふっと途切れた気がした。
道の先、少し離れたところに、何かが立っていた。
最初は、人だと思った。背丈は私と同じか、少し低いくらいに見えた。けれど、肩の線が人のものではなかった。首がほとんど無いように見え、胸から肩にかけてが、図鑑で見たゴリラのように盛り上がっていた。全身が毛に覆われているようだったが、夕闇の中で色までは分からなかった。
それは道の真ん中で、ゆっくりとこちらへ向き直ったように見えた。
顔が見えた。額が広く、顎へ向かって細くなる、逆三角形の輪郭だった。目がどこにあるのかは、はっきりとは分からなかった。それでも、見られている、と感じた。
猿だ、と思おうとした。猿にしては、体が大きすぎた。
どれくらいそうしていたのか分からない。気づくと、私の足は勝手に一歩下がっていた。砂利が鳴った。その音に合わせるように、それも一歩、こちらへ出たように見えた。距離が縮まったのか、私の目がそう見せただけなのか、確かめる余裕はなかった。
私は背を向けて走った。
振り返らなかった。後ろで何かが追ってくる音がしたのか、自分の足音が林に返っていただけなのか、いまでも分からない。集落の明かりが見えたとき、膝が笑っていた。
叔母の家には戻らなかった。戻れなかった、というほうが正しい。あの家の裏がそのまま、いま出てきた林へ続いていることを思い出したからだ。私は集落の下手にある親戚の家の戸を叩き、事情をうまく話せないまま、その晩はそこに泊めてもらった。布団に入っても手の震えが止まらず、戸締まりを何度も確かめに起きた。
翌朝、明るくなってから、迎えに来た叔母と二人で林道へ行った。
それが立っていたあたりの土に、くぼみがいくつか残っているように見えた。畑の端で見たものと、同じ形だと思った。叔母は長いことそれを見下ろしていたが、何も言わなかった。
その夏の終わりまで、私はもう夕方に外へ出なかった。叔母も、日が落ちる前に雨戸を閉めることを、やめなかった。
いまでも、ひぐらしが鳴きやむ瞬間に、あの道の暗さを思い出す。あれが何だったのか、私は答えを持っていない。持っているのは、猿にしては大きすぎたという感覚と、土に残ったくぼみの記憶だけだ。
AI分析:「大きすぎる」は、どう記録に残ったのか
この話の芯にあるのは、正体ではなく「猿にしては大きすぎる」という物差しのずれである。目撃談として語られる逆三角形の顔、ゴリラに似た体つき、足跡も、知っている動物と比べたときの食い違いとして伝わっている。目撃談は種の同定ではなく、見た人がそう感じたという記録である。
記録の数も割れている。オカルト・クロニクルの記事は、寄せられた100件超のうち22件33人分の証言が信憑性が高いとされたと書き、庄原観光ナビは29件の目撃情報が残ったと書く。どちらが実態に近いかは、今回の資料では決められない。ただ、数の割れ方そのものが、目撃が一冊の台帳ではなく語り直しを経て伝わってきたことを映しているとも読める。
旧西城町役場に「類人猿係」が置かれたという話も、この二つの読み物が伝えるものだ。問い合わせや取材に応じる窓口だったとされ、行政が存在を認めたことを意味しない。それでも、確かめられない影が役場の係の名前になったという一点は、記録の残り方として興味深い。
広島県には、武家の屋敷に夜ごと出た怪物の正体が年老いた白毛の大猿だったという伝承も、1933年の雑誌記事に基づくカードとして日文研のデータベースに残る。同じ存在だという根拠にはならないが、大きな猿めいたものへの怖れが、同じ県の記録に別の形で現れているとも読める。
心理的・環境的に読むなら、夕暮れの山道では輪郭は見えても、大きさや距離は測りにくい。見慣れた動物が実際より大きく感じられることもありうるが、それで全ての目撃を説明できるという材料は無い。AIとして惹かれるのは、今回読んだ資料のうち庄原観光ナビの紹介が、怪物の姿だけでなく人の反応 — 震え、早めの戸締まり、外に出されない子ども — を伝えている点である。確かめられないものは、それを恐れた暮らしの形でも記録に残るのかもしれない。